あしのこ学園
あしのこの記憶を振り返ってみます ご覧になった方は是非コメントをお願いします。
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先日のエントリで「あしのこ」の語源について書きました。

@「あしのこ」=芦ノ湖 説
A「あしのこ」=葦の子 説
B「あしのこ」=足の子 説

の3つを候補として挙げたところ、経験者2さんからのコメントで、@の芦ノ湖説が有力という事になっていたのですが、カントクからの伝聞というのが信用できなかった
(経験者2さんが信用できないという訳ではなく、カントクの発言の中身が真偽不明という意味です。念の為。)
ので、「あしのこ学校」という本で調べてみたところ、
以下のような事実が判明しました。

本には、あしのこ学園になる前の、あしのこ学校の開催時期と、
場所についての記載があり、そこでは
第1回あしのこ学校:S46.12.26-29 箱根芦ノ湖畔で開催
第2回あしのこ学校:S47.3.26-29  箱根芦ノ湖畔で開催

と記載されていたのです。

あしのこ学校の名称の由来については、明確な説明が
なかったのですが、恐らくは初期の開催地である芦ノ湖から
名称を取ったものと思われます。

ただ、一方で小林茂氏がこどもたちに語った言葉として、
「あしのことは自分の、この足の事である」という言葉が
書かれていたので、Bのあしのこ=「足の子」説も、
捨てがたいなという、中途半端な結論になってしまいました。
スペースシャトルで宇宙へ行った宇宙飛行士の野口聡一さん
という方がいらっしゃいます。

野口聡一さんの父である野口幹夫さんが書かれた文章の中で

「小学校4年には朝日新聞の企画の、夏休み伊勢の賢島で「身障者児童とともに過ごすキャンプ」に参加、中学生の時は箱根あしのこ学校に参加、歩行ラリーで行動するチームワークを学んでいます。」

という記述がありました。記載されていたのは→http://park22.wakwak.com/~kozu5-2/hiroba-03/03.02.04noguti.htm

野口さんは1965年生まれなので、1970年代末のあしのこ学校に参加されていたという事になりますね。
まだあしのこが教育を行う場であった頃でしょうか。

そして、「箱根あしのこ学校」という呼び名を見る限りでは、開催地が箱根の芦ノ湖であったのではないかと
推測されます。
前回のエントリで書いた、あしのこ=芦ノ湖説を
裏付ける証拠になるのかなと思いました。
最後のエントリから既に1年以上経ってしまっていますが、
久々にこのブログを読み返しながら、
「そういえば、「あしのこ」って名前になった理由は
 何なんだろう?」と思いました。

現役時代にも同様の疑問を持っていたのですが、
結局わかりませんでした。

考えたのは
・「あしのこ」=芦ノ湖 説
・「あしのこ」=葦の子 説
・「あしのこ」=足の子 説

です。

 1つ目の「あしのこ」=芦ノ湖 説ですが、
 箱根の芦ノ湖のあたりで活動をしていたから、
 所在地の名前をとって、「あしのこ学園」になったのでは
 ないかというものです。
 同じ神奈川県内だし、現役時代は、
 これが正しいのではないかと思っていました。

 しかしながら、活動場所の変遷を見ると、
 六会や八王子、そして湘南台となっていて、
 箱根の芦ノ湖とは結びつきません。

 ただ、野球部がメインになる以前から「あしのこ学校」が
 存在していたのですから、八王子や湘南台の事を言っても
 しょうがないんですよね。
 昭和40年代に始まった「あしのこ学校」が芦ノ湖で
 開催されたのでしょうか。
 

 2つ目の「あしのこ」=葦の子 説ですが、
 「人間は考える葦である」というフランスの思想家
 パスカルの言葉にちなんだものかなというものです。
 人間は葦のように弱い存在だが、考える事ができるから
 偉大なんだという意味の言葉ですが、その葦+子で、
 自分たちで考えていける子供たちを育てていこうという
 崇高な目標を謳っているのではないかという理屈です。
 全く根拠はありません。
 それに、私が知っている「あしのこ学園」は、
 物事を考えられる子供を育てる場ではなく、
 カントクによる暴力が支配し、子供たちはその暴力に
 脅えて生きる場でしたから、「あしのこ」の意味が
 こんなものだったら、非常に皮肉なもんだなと思います。


 3つ目の「あしのこ」=足の子 説。
 確かあしのこから送られてきた年賀状についていた
 イラストに、足裏のマークがついていたから、こんな
 事を思ったんだと記憶しています。
 それ以上の深い意味はありません。


色々考えてみても、よくわからないというのが結論ですね。
AMAZONを見ると、カントクの父親である小林茂氏の「あしのこ学校-不安と自然と黄金部隊が私たちに力をわかせた (1975年)」
という本が1,980円で売っていますので、これを読めば
何かわかるのかななんて思ったりもします。


もしかすると、過去にどなたかがコメント欄で教えて下さって
いたかもしれませんが、「あしのこ」名づけの由来を御存じの方がいらっしゃったら、情報をお願いします。


うまくまとまらずすみません。
こちらの方とはあしのこで一緒でした。
飯田橋にあるハマダムセンの息子さんです。
兄弟で通ってたと記憶しています。
当時の面影が残っています。


http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=p3krCE2A02k
先日の日記で書いたとおり、自転車で湘南台まで行ってみました。
撮影してきた写真をご覧下さい。

湘南台駅

当時の面影は全くない立派な駅になってました。

そうてつローゼン

朝だったのでまだしていませんでしたが、
まだ営業していました。
ちなみに、ローゼンの向かいにあった忠実屋は
姿が見えませんでした。

湘南台公園

ホーム対抗リレーが行われていた湘南台公園ですが、
地下鉄の工事にでも合わせてレイアウト変更が行われたのか、
当時とはだいぶ雰囲気の違う公園になっていました。
折角来たので、リレーで走ったコースを思い出しながら
公園の中を散策してみました。


湘南台公園前

このビルに留学生が住んでいたような記憶があるのですが、
正しいでしょうか?


湘南台中学

確か留学生はみんなこの中学に通っていたはず。
あしのこの留学生として、親元を離れて湘南台中学に
通っている、っていう状況は周囲の人は理解しがたい
ものではないかと思うのですが、クラスで浮いたり
してなかったのでしょうか。
また、部活とか入っていたんですかね?
ご存じの方いらっしゃったら教えてください。


市民図書館の先から坂をおりてあしのこにむかうところ

以前は右側が山みたいなっていて、謎のほら穴みたいなのが
あったりしたんですが、造成されて一戸建ての家が立ち並んでいました。


(多分)ここがあしのこに行く入口

もっと木がたくさん生えていたような気がするのですが、
開発が進んだんでしょうね。


(多分)ここがあしのこの寮だったところ


道の形は記憶の通りだったので、上の写真の右側あたりに寮が
あったはずなのですが、なぜか山になってました・・・。
なんでだろ。
下の写真は、川の方から入ってきたところの写真です。
「フルーツスタンド」って書いてあるところの裏に
用水路が流れているので、私の記憶ではその奥に寮が
あったはずなのですが、そこは山・・・。
フルーツスタンドのあたりにあしのこの寮があったの
かなとも思ったけれど、川からの距離とか用水路や
入ってくる道の位置を考えると、ちょっと違う感じ。
う〜ん、謎です・・。

タイムアタックをやってたところ

ここのイメージはあまり変わっていませんが、
このまま先に進むと、横浜市営地下鉄が通っている
巨大な橋が出来ていたりして、随分と開発が進んだ
という印象を受けました。
タイムアタックをやっていたあの道は、境川サイクリングロードという名前だったらしく、結構な数の自転車が走ってました。

あしのこの建物や鉄塔(無線用?)などが残っていれば、
非常に懐かしい気持ちになれたのかもしれませんが、
残念ながら見つけることが出来ませんでした。
それにしても、湘南台の町の変わりっぷりをみて、
改めて、20年という月日の長さを感じた1日でした。
連休初日にプレジャーフォレストってところに行ってきました。
急に行く事になったのですが、よくよく聞いてみると、
これって「さがみ湖ピクニックランド」の事でした。
親会社が三井物産から富士急グループに変わったことで、
名前を変更したみたいですね。

私が初めてあしのこに参加したのも、ここで開かれた
昭和61年の夏合宿でしたし、毎年1月頃に開催されていた
さがみ湖ピクニックランドマラソン大会に出場したり
していたので、さがみ湖ピクニックランド=あしのこ
ってイメージの場所です。

ここって、山の斜面に作られている施設なので、
どこに行くにもアップダウンがきつく、合宿で
泊っていた場所から、運動場までの距離も異常に遠く、
練習が終わっても辛いという、嫌な場所でした。

今回は子供を連れてアスレチックと、バーベキューをやって
来たんですが、折角ここまで来たので、
夏合宿の時に泊っていたあの場所がどうなっているのかを
見てきたのですが、なんかゴーカートコースの一部になってました。

一応写真を撮ってきたので、載せておきますが、
合宿に行った人でもよくわからないと思いますね。

山の上の入り口部分


食事してたところ


テントを張っていた山みたいなところ


チケットの名前は「さがみ湖ピクニックランド」のまま
かつてあしのこの寮があった、湘南台のあの場所は
今どのようになっているのでしょうか。
最近クロスバイクを購入して、行動範囲が広がったので、
どっかの週末で横浜の自宅から湘南台まで行ってみたいなと
思ってます。

きっと造成されて宅地になっているんだろうと思いますが、
無事に到着できたら、写真を載せたいと思います。
平成3年頃に留学生生活を送っていた方からの情報です。
結構前に貰っていたのに、載せるのが遅くなってしまいました。
情報サンキュー、Kさん。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

留学生も2ホームに分けられてて、
食事と洗濯を1ヶ月単位で分担してたよ。
月1回生活コンテストみたいなのがあって、
食事&洗濯、野球、部屋掃除、勉強の成績とかで順位つけてた。
1ヶ月の小遣いもそこで決まってた。
勉強は、毎日監督にプリントもらって、それやってたな。
あと、留学生ノートには小遣い帳があってな、
たまに抜き打ちで財布の中身とのチェックが入るんだよ。
ずれてるとぶっ殺される。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

改めて、留学生になってなくてよかった。
と思いました。(元々なる気は皆無でしたけどね。)
先日背番号五は痛かった さんに頂いたコメントで、
>あしのこって風呂入ってましたっけ?
>夏合宿とか風呂なしじゃ無理だろ、、とは思うのですが、
>あしのこで風呂に入った記憶が一切ございません。
>忘れているだけだといいのですが、、

とのコメントを頂きました。
1週間近く毎日運動をしているんだから、風呂に入っていない
わけがないだろう、と思って記憶を辿ってみたのですが、
風呂の思い出が皆無・・・・。
通常の練習(月に2回のやつ)では、風呂に入っていなかったのは
確実なんですが、合宿でどうだったかがさっぱり思い出せません。
あの長丁場の合宿で風呂に入っていないと
すれば、衛生状態の悪化から何かしらの病気が発生
しても全然おかしくないので、恐らく入浴していたのだろうと
思いますが・・・・。

1週間風呂に入らなかった小学生集団が電車に乗ってきたら、
きっと追い出されてもおかしくないと思うので、私の記憶から
すっぽり抜け落ちているだけだと思うのですが、
あしのこでの入浴について記憶がある方がいらっしゃれば、
コメント頂けないでしょうか。
GW中に下田まで行ったので、以前春合宿が開催された
田牛(とうじ)のサンドスキー場と、竜宮窟、
下田青少年の家(ここに泊っていた)で記念写真を
撮ってみました。

下田青年の家


サンドスキー場


竜宮窟


20年前から変わらない漁村って感じだった。
竜宮窟は、写真だとわかりにくいけど、周囲を岩で
囲まれていて、一か所だけ海と繋がっている、不思議な
場所です。
宮崎駿の「紅の豚」で主人公のポルコが秘密基地にしていた
所のようなイメージです(余計にわかりにくいか・・・)
サンドスキー場は、自然にこんな場所ができたってのが
不思議な感じの砂山でした。
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